──無礼を承知で言います。思ったより、良くできてたんですね?
俺はクオリティが絶対に落ちてると思ってたんだけど、読んだら「落ちてないじゃん!」って。面白かった。
──そう考えると、今回のインタビューって本当に貴重ですね。
う~ん。でもね、やっぱり頑張ったから。苦労した甲斐があったなと思ったよ。ちゃんとキャラクターたちの面倒を見て書いてるなって。ただ、第1部と比べると、レイ、シュウやサウザーみたいな死に方を各キャラクターにさせてあげられなかったなと思う部分もあって、そこは少し後悔が残るかな。
──でも、それは第1部で出し切った部分が大きかったのでは?
修羅の国っていうのは、ラオウの影を引っ張らないと作れなかったのよ。すべてラオウが作ったという形にしないと、読者を引っ張れないと思って。だからラオウの「ほかに帰る地はない!」っていうフレーズを作った時、ラオウを全員が待ってるんだということで、ひとつの道が見えたんだと思う。修羅の国はラオウを待っていて、希望の星なわけだよ。
──ラオウが希望の星なんて。第1部ではありえなかった概念ですよね。
でも負けてしまったからケンシロウが来る。話が転がっていくんだよ。もしあそこでラオウの影を出さずにケンシロウが修羅の国に行って、第1部と同じようなパターンで救世主伝説を書いてたら、クオリティは落ちてたと思うよ。
──およそ25年の歳月を経て先生が第2部を改めて読んでいる姿を想像すると、面白いです、本当に。
読んでる時に、ふと時計を見たら夜中の2時で「おい。俺は何時間ほど読んでるんだ!」ってね。
──自ら引き込まれていくというのは、究極ですね。
ただ、第2部で苦しかったのはリンが双子だったというね(※8)。
【※8】双子だったリン
第2部で「北斗の軍」として天帝軍に反旗を翻し闘いを続ける中「双星が育てば天がふたつに割れる」という掟のもとで帝都に幽閉されていた双子のルイと遭遇。ここでリンは天帝の血を引いていたことを知る。この設定は修羅の国編でも重要な要素となり、結果として北斗琉拳、北斗宗家といった物語のスケールアップへと結びつくことに。
──あ~~~。はい! これは親善大使として、ファンを代表して言わないといけないかもしれません。リンとルイ。はい。あれは強引でした。
あれはちょっと作りすぎたね。
──ええ。こっちもビックリしました。でも、それも含めての第2部であり、その第2部があったからこそ、北斗神拳の歴史的背景が広がったというか、深みが増した部分があると思うんです。たしかにラオウが死んだところで終わっていたらスマートだったと思います。でも、そうなると北斗三家の拳が分派したとか、そういった歴史も生まれなかった。
そうだね。だから……うん。ラオウのところで終わらせてくれよと本気で思ってはいたけど、もしかすると、連載が終わって3年くらいして、また原先生と「続編やろう!」ってなったかもしれないよね。
──うお~~!! では、逆に3年なりの期間を空けて第2部を始めたとしたら、どういう話に?
う~ん…。やっぱり数年後。同じ時代設定から始めただろうね。修羅の国に行くのか、どこに行くのか。う~ん……やっぱり修羅の国になるかもしれない。同じパターンに。
──うわ~。これは凄い話ですね。つまり、時期はどうあれ「北斗の拳」という作品は2部構成で作られることになっていたと。
ラオウの少年時代を書こうとか、そこから書き直してみようとか、じゃあその国はどうなってるのか。どっちにしても修羅の国だな、うん。
──ちなみに、リュウはどうですか? ラオウの息子の。展開上、リュウが次の伝承者になるのは必然だと思うんですが、それ以前に、北斗ファンにとっての永遠の謎が…。
うん。謎っていうと?
──ズバリ…母親は誰ですか!
リュウの母親に関しては、誰っていう設定は無いんだよね。
──あ~。やはりそうですか。だと思います。思いますが、こっちは「ユリアじゃねえか?」とか「ユリアはそんな女じゃない!」とか「マミヤの線もあるぞ!」とか、何年も…というか、ちょっと待ってください。リュウの登場時期から考えると…はい。約25年ほど母親を探してます。
ユリアでもいいんじゃないかな?
──ははは。でも、普通に考えると不倫というか、ありえないことなんですけど、北斗の拳の世界観だと大丈夫な気がするんです。あそこまで慈母の度合いが強いと「ならば私が生みましょう」とか言うかもしれないぞと。そうなると上手く…先生風に言うと転がると思うんですよ。ユリアが母親であれば、南斗の正統血統者の血も入る。北斗の拳と南斗の結びつきで言えば、原作の流れも崩れませんよね。
かもしれないね。
──では、最後になりますが、北斗の拳、生誕30周年に際し、月並みではありますが、メッセージを。
あのね。北斗の拳は、なにかを与えようとしたりとか人間はこうあるべきだとか思いながら作ったんじゃなくて、とにかくいい作品にしようと思いながら作ったマンガなのね。その中で、ただ普通に、単純に面白いなと思うだけじゃなくて、なにかを感じてくれれば嬉しいかな。読んで少し元気が出たとか、友達っていいなとか。30年経ってなお読まれているというのは、めちゃめちゃ嬉しいことだからね。それにしても君、本当に詳しいね。俺より詳しい。
──あ、ありがとうございます!
先生の言う後付けと世間の後付けは違う。
今回の対談で、先生が何度となく口にされた「後付け」という言葉。これは一般論で言えば、決していい印象を持つ言葉ではない。だが、それがとてつもなく高い意識、高い次元で行われたとしたら…。そう、まさに北斗の拳という作品になるのである。毎回、一話一話が必死、命懸けの日々。先を考える暇が無いほど目の前の物語に心血を注ぎ、そこから行われた「高純度の後付け」が、世間一般の後付けとは一線を画すクオリティや奥深さを生み出した。そう言って間違いないだろう。
立場に関係なく、すべての人が「北斗の子」
北斗の拳。その根底にある漢たちの「宿命」。俺は今回、それを武論尊先生にも感じた。原作を受けることになったのも、原先生が読み切りの北斗の拳を描いたのも、やがて大きなうねりとなり、自分を含むファンの心を掴むという「宿命」に吸い寄せられていたのではないかと。主観的な目線だけでいいはずの原作者でありながら、時には、実在する人物を語るように客観的に話す。それは、私たちファンだけではなく、先生もまた、北斗に魅せられた”北斗の子”なのだと。そして、この対談を行うにあたり、連載終了後に改めて先生が第2部を読んだ。もし読んでいなければここまでの話にはならなかったのだから、自らが考え企画として提出したこの『北斗語り』という連載もまた、大きな宿命のひとつだったのではないか。そう思えたし、心が震え涙が出た。みんな”北斗の子”だ。
Interviewer ガル憎
フリーライター。1974年1月4日、広島県に生まれる。北斗の”第一世代”とも称される生粋の団塊ジュニアかつ原作の公式親善大使で、広島東洋カープファン。原哲夫らとの交流も深く、映画「真救世主伝説 北斗の拳 ZERO ケンシロウ伝」のエンドロールにも名を刻む。好きなキャラクターは、トキ。