北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー

北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー北斗語り北斗語りとは

日本マンガ史にその名を刻む名作「北斗の拳」が2013年、連載開始「30周年」を迎える。
この記念すべき年を意義あるものにすべく、原作の公式親善大使が豪華ゲストを迎えて対談。
これまで語られてきた北斗、語られていない北斗。
北斗に魅せられし者たちが届ける大型新連載、愛深きゆえに行われる。

武論尊

武論尊

VOL02武論尊

ガル憎(以下略)──それでは、今度は各キャラクターについて少し掘り下げていきたいのですが、僕はサウザー、シュウ、トキが好きなんです。次いで、ラオウ。

武論尊(以下略)シュウは上手く書けたんだよ。でも最初は狙ってなかった。ただ「盲目の強い奴」っていうだけの設定で、幼いころのケンシロウを救ったエピソードは考えてなかった。

──え! シュウが登場した時点では決まってなかったんですか?

そう。途中で「これはケンシロウの幼少期で上手いこと使えるぞ!」って。

──だから初登場シーン(※1)ではあんなに悪い顔をしてたのか!

【※1】シュウの初登場シーン
ファンの中で、いまも語り継がれる「サウザー編」。その幕開けとなった回の最終ページに登場したのが、南斗白鷺拳のシュウ。翌週からケンシロウの味方であることが判明するが、キャラクター設定が決まっていなかったこの回は、新たな敵キャラを彷彿とさせる「悪人顔」であった。もし敵として描かれていたら、一体どんな展開に?

その時は俺、シュウがいい奴か悪い奴か、まだ決めてなかったんだね。

──うわ~。衝撃の事実です!

ガル憎君もだろうけど、シュウは俺も好きだった。だから、死に場所を与えてあげたいと思ってね。つまりかっこいい死に方。それを考えて、聖帝十字陵の頂上。あの聖碑を担がせたいと思ったんだよシュウに。

──いわゆる、キリストの最期。ゴルゴタの丘(※2)ですね。

【※2】ゴルゴタの丘
新約聖書において、イエス・キリストが十字架に磔にされたとされる場所。一般的にはエルサレム旧市街にある聖墳墓教会がその場所と言われており、多くのファンが涙したシュウの壮絶な最期は、このキリストの最期をモチーフとして描かれた(ゴルコダの丘=聖帝十字陵)。余談だが、トキの容姿はキリストがモデルとなっている。

 

そうだね。あの十字架を違うものにして、どこかで書こうっていうのが頭の中にあったから。

──それに対して、サウザー。善悪で言えばシュウの正反対ですが、その最期もまた、感動的なものに。

うん。ワルのまま終わらせちゃうともったいないのよ、サウザーが。他のワルとは違うワルを、あそこまで書いたからね。ただのザコと同じ扱いにしたら、かわいそうなんだ。だから最期を変えたんだよね。

──あの「お師さん…」以外の終わり方もあったんですか?

聖帝十字陵で倒れるだけというのもあったかな。あと、最初に話したキリング・フィールド。あの原風景があってね。大人は殺されて子供だけ生かされて、やがてその子供たちが国家の新しい礎になるっていう。そこが聖帝十字陵を作るところの発想につながった。これだけ悲しい男っていうのは、大人がいらないのよ。

──悲しさゆえ、ですね。でも、なんて言えばいいのか…。原作者としては、どれだけ好きなキャラでも殺さなければいけない。当たり前と言えばそうなんですが、それと向き合う先生の想いとか、本気度とか。ある種の親心のようなものを感じます。

それはやっぱり、ストーリーテラーとしての義務だろうね。思い入れがあればあるほど、いい死に方をさせてあげたい。いいキャラクターっていうのは、特にそうなワケで。

──いつだったか、レイが当初よりも重要なキャラになって、殺すに殺せなかったというか、言い方は悪いですが、原作上で何度か延命されたという話を聞いたことがあります。

レイはラオウに秘孔を突かれて、数日後に死ぬと言われるんだよな…。

──ええ。断己相殺拳がマントで回避され、新血愁を突かれてます。

そんな名前だったかな?

──ええ、覚えてますんで。

最期は小屋に入って中から血が出るんだったかな?

──そうです。聞いてる人と答えている人が逆な気もしますが(笑)。

ははは。でもやっぱり、みんなに無様な姿、汚い姿を見せたくないというのがレイの美学だよね。

──そこなんですよ。おそらく、どう死んだか分からないのはレイだけだと思うんです。トキに心霊台を突かれて白髪になった時ですら、あんなに壮絶だった。だとしたら、どんな死に方なんだと。見えないけど頭の中で想像しますよね、読者は。

美学だね、美学。みんなそれぞれの美学を持ってるから、それをもって死んでいくっていうのがある。

──なんと言うか、架空のキャラなんだけど先生の中では生きてて、その生涯を先生が決める。もしかすると代弁者のような部分もあるのかなという気がしてきました。それだけの想いで書いているというか。

美学という部分で言えば、たとえば風の…ヒューイ(※3)。 そう。風のヒューイとか、あっという間に死んでいくじゃん。あれも彼の美学だね。

【※3】風のヒューイ
南斗五車星のひとり。バイク部隊「風の旅団」を率いるリーダーだが、ラオウに一騎打ちを挑み一撃で葬られる。扱いの低いキャラにも見えるが、ラオウの進軍に身を捧げた死に様はあくまでヒューイの美学であり、原哲夫先生もまた「手抜きをすることなく懸命にキャラを考えて描いた」と、過去のガル憎との対談で強く語っている。

──うわあ! 先生の口からヒューイの名前が出るとは思いませんでした。あっという間に死んだから、逆に思い入れが無いのかと。

雲のジュウザも、俺は誰の味方にもならないよと言いながらも、あっさりと自分の美学で死んでいく。

──そうですね。

ユリアのために動いたんだけど、最期は自らを貫き通す。つまり、どう生きるかじゃなくて、どう死ぬか。それこそが生き様。結局、死ぬか生きるかの闘いだから格闘技じゃないのよ。闘いそのものが生き死にだから、拳銃で撃ち合うのと同じようなことなんだよね。それはもう、普通の人たちとは生きてる世界が違うんだよね。

──なるほど。そこには想像を絶する精神世界があるんですね。

うん。あと、これは改めて読み返して思ったんだけど…凄いねえ。みんなユリアのことが好きなんだね。

──ははははは。簡単に言えばユリアという女を取り合う壮絶な兄弟ゲンカですからね。しかも、みんなを容赦なく巻き込んじゃって。

だからケンシロウのためにね、結構みんな酷い目に遭ってるんだよ。

──そうですね。最終的には、ほとんどの拳法家が死んでます。南斗聖拳なんて壊滅状態ですからね。

そうそう。悪い奴なんだよ。

──ははは。