──漢たちの生き様、もっと言えば死に様とかですね。連載中は、レイに対して「マミヤのために命を捧げなくていい! 死ぬな!」とか思ってた気がします。女のために死ぬというのは小学生には難しいというか。
見返りを求めず犠牲になるっていうことの清々しさは宮崎駿さんの好きな世界でもあって、ある意味で男の憧れというか、大人になるとコレぐらいやったんだからコレぐらい返してよってことがあるじゃない?
──ありますね。ていうか、そんなんばっかです。
ははは。なんていうか、自己犠牲の美学みたいなものがいっぱい詰まってるんですよね。でも、実際、自分ではなかなかできない。
──だから憧れる。自分にはできない生き方があって、強い漢やアツい漢がいて、弱いヤツも悪いヤツもいるっていう。漢の大図鑑みたいな。
ホントそうですよね。そういった時に自分はどうできるかと試されているというかね、漢はこうしたらカッコイイんだよというバイブルみたいなものだから、北斗の拳は。
──北斗を見て、自分とのギャップを噛みしめる。こう生きられたら最高だなと、自身を見つめ直すような。
ただ、じつはコンプレックスの話だったりもするじゃないですか。美しいものに憧れたユダもそうだし、兄弟に劣等感を抱いていたジャギなんかもそうだし。恋愛のコンプレックスで言えば、ラオウがそうだよね。
──ですね。ただ、そういうコンプレックスが生み出す弱さを克服して生まれる強さ。そこにこそ北斗の醍醐味があるというか。
だからね、武論尊先生は、男がジ~ンと来ることをいっぱい知ってるんですよ。こういう時にこうしたら魂が揺さぶられるんだよ、みたいな。
──まさに浪花節というか、そこが先生の真骨頂ですよね。わずか5年間の連載が、いかに濃厚か。
本当にそう思う。原先生も「描き上がった後は本当に歩けなかった」って言ってたもん。武論尊先生とふたりで命を削りながら作った作品。
──ですね。では最後の質問になりますが、自分が拳法家だとして、誰と闘いたいですか?
え~~!! う~ん……やっぱりトキかなあ。トキなら有情拳で気持ち良くなって死ねるから。
──ははは。負けが前提という。
南斗聖拳は切り刻まれるし、それがゆっくりだったら最悪だもん。
──ちなみに、相方のウドさんは誰と闘わせたいです?
ウドは、ああ見えてメッチャ強いからねえ。ラオウじゃないですかね。
──あははは! ジュウザみたいにひと太刀、浴びせますかね?
絶対に浴びせる! メンタルでいったらラオウより絶対強いから。
──ははははは! メンタル的にはラオウより上!
俺を助ける時のウドなら特に。
──つまり、鬼のウドの時なら?
むしろ“山形のウドウ”だったら。
──ははははは! ふたりで原先生に執筆をお願いしてみますか?
え~とね。絶対に無理だね(笑)。
芸能界で最も北斗に詳しいと豪語 その偽り無き知識に敬服の意
本文中では割愛させていただいたが、宮崎駿だけでなく、初期のバットの話が出た時に「レ・ミゼラブルとかでもそうなんだけど、ずっと盗みを働いている悪い姑息な人間が最も人間味があってなんか惹かれるキャラクターになっていくみたいな要素もあるかもしれない。完璧すぎる男ばっかりじゃないところが重要」など、あらゆる芸術作品への造詣の深さも垣間見せ、そこに関しては俺とは違うな。俺はぜんぜんだなと反省した。
北斗を読み宿命を授かった我ら ジュウザの貴重さを胸に今後を生きる
北斗って「宿命」の物語だと思うんです。そういう意味では、ジュウザのイラスト色紙。本当にビビりましたね。そして、おそらくお互いに「下手すりゃ世界で1枚しか無いかも?」と思ってたハズなんだよね。そういう意味では一瞬だけ悔しいと思ったんだけど、同じ2007年に描いてもらっていたと知った時、勝手に親近感を抱きました。
Interviewer ガル憎
フリーライター。1974年1月4日、広島県に生まれる。北斗の”第一世代”とも称される生粋の団塊ジュニアかつ原作の公式親善大使で、広島東洋カープファン。原哲夫らとの交流も深く、映画「真救世主伝説 北斗の拳 ZERO ケンシロウ伝」のエンドロールにも名を刻む。好きなキャラクターは、トキ。