──というか、先生。もしユリアが生きてなければ、ラオウの最期も違う形になっていたんですか?(※5)
【※5】
いまさら多くを語る必要など無い、北斗の拳で最も有名なシーンとも言えるラオウの最期。歴史的名セリフ「我が生涯に一片の悔いなし!」と共に拳を天高く突き上げ絶命する姿はあまりにも有名だが、これが原先生の中に「必ず描きたいもの」として刻まれていたとは…。今回の収穫だ。
ストーリー的にはそうですが、ラオウのラスト…というかあのポーズは変わらなかったと思います。
──え! そうなんですか?
フランク・フラゼッタ(※6)さんの作品で、ある人物が腕を真っ直ぐ上げてるのがあるんです。
【※6】フランク・フラゼッタ
アメリカ合衆国のイラストレーター。SFやファンタジー分野の挿絵などで活躍し、当時まだ20代前半だった原先生に絶大な影響を与えた。その遺伝子を受け継いだ原先生が日本漫画界の歴史を変える作品を世に出し、今度は多くの作品がそれに影響され後を追う。これぞ宿命。
──はい。
それをアレンジしたんですよ。ものすごくいい絵でね。いつか俺もこういうポーズの絵を描くぞ…と。
──うわ~。あの伝説のシーンにそんな裏話があったんですか。スゴい。
フラゼッタさんの絵だと真っ直ぐ拳を突き上げてるんだけど、僕は斜めの角度で描いてみたいなと。
──ぜんぜん、知りませんでした!
いつか描きたいと思い続けていてラオウが最期を迎える時に「あれでキメよう!」と思いましたね。
──おおおおおお! つまり、届いた原作を読んで「ここだ!」と。
いや。ラオウの最期に関してはあの形でいくことになってて、そこにさっきの話が入ってきたんですよ。
──ユリアが生きていた話が?
そう。ただ自分の中で「ラストにあれを描くぞ!」という感じで向かってたことに変わりはないんで、ユリアが生きていたということで1年ほど先送りになったけど、ついにその瞬間を迎えて、描いたわけです。
──なるほど~!
実際はそこで終わらずに翌週からも続くんだけどね(笑)。
──ははは。そうですね。でも、温め続けていたものを「ここだ」と思う場所。ラオウの最期という最大のクライマックスに込めたんですよね?
そうなりますね。
──ラオウの最期に、あの伝説のポーズに、そんなエピソードがあったとは知りませんでした。若き日の原先生が手本にし、教材にしたもの。それを自身のフィルターに通し、あの渾身の場面に注いだ。素晴らしいエピソードです。
自分としては、あそこしか無かったんですよね。生半可なところでは描きたくなかったんで、やっぱり、あれはラオウの最期しか無いと。
──僕としては以前にも増して感慨深いシーンになりました。自分の中にある最高峰の絵を全霊で勉強し命懸けの作品で、それを自分のスタイルとして確立させた。生意気を言いますが、ケンシロウの成長に投影できそうな気さえします。
なるほどね。そう言われてみるとラオウに挑むケンシロウのような気持ちだったかもしれないね。愛をもって闘ったというか、描いたというか。
──先生。今回は本当にありがとうございました。いくさの子も、新エピソードも、ひとりのファンとして楽しみに読ませていただきます!
ありがとう。そうだね、いくさの子も絶対に手は抜けない、そして新エピソードも同じ。大変だけど、力の限り描かせてもらいますよ。
トキのような懐を持つ先生との時間は「主観=楽しい」&「客観=鳥肌」
今回も、本当にいろんな話をしていただいた。それこそ世間話とか、本文中に出た映画についての思い出話とか。そうやって話してる時は、本当に楽しいし普通の感じで話せる。でも終わって岐路につく時は、ふと冷静になり「俺って原先生と話したんだよな?」と、身体中が、細胞中がフツフツと興奮を始めるのだ。つまり、それだけ原先生が気さくに話してくださっているということである。感謝の剛掌波を届けたい。毎日。
与えられた人生と恩を返すべくこれからも七つの星に導かれたい
初回は武論尊先生、今回は原先生。北斗を「創った漢」ふたりに出ていただいた。嬉しい。だが 俺の人生の…いや、北斗の旅は終わらない。偉大なる先生たちへの恩返しは、この連載をしっかり続けること。次世代に北斗を伝承すること。憧れの人と会えた。ワーイ。ワーイ。喜んで済まされるのは子供だけ。俺は大人として、人生を捧げる。
Interviewer ガル憎
フリーライター。1974年1月4日、広島県に生まれる。北斗の”第一世代”とも称される生粋の団塊ジュニアかつ原作の公式親善大使で、広島東洋カープファン。原哲夫らとの交流も深く、映画「真救世主伝説 北斗の拳 ZERO ケンシロウ伝」のエンドロールにも名を刻む。好きなキャラクターは、トキ。