それは、当連載「北斗語り」が始まってから初めてのことだった。通算5人目の対談相手となった精神科医の名越康文先生(※1)。話している途中で「もう内容的には充分」。自分の中で線を引けた瞬間というものがあったのだが、その一方で、まだ終わりたくない。精神科医ならではの独自の読み解き、北斗感。その新鮮かつ斬新な解釈を、まだまだ聞いていたいという気持ちになった。というか、実際に聞いた。当然、それを原稿にしようとしても収まりきらない。私は担当者に連絡し、前後編の拡大版にすることを懇願。それが見事に実現し、今回の「後編」となった。
【※1】名越康文
1960年6月21日、奈良県に生まれる。精神科医という堅いイメージとは裏腹な明るいキャラクターで、テレビを筆頭に幅広いメディアで活躍。精神科医から見た映画・音楽評論なども行い、近年は、精神科医というフィールドを飛び越えマンガの原作ブレーンに参加するなど、活動の幅を積極的に広げている。京都精華大学特任教授。
ガル憎(以下略)──さて。原作の構造的な部分に続いて、先生が最も好きなキャラを教えてください。
名越康文(以下略)あ~。キャラクターという意味ではレイですね。思い詰め感って言うのかな。それがもう尋常じゃないんですよ。
──アイリを探してるあたりは特にそうでしたね。アイリを守ろうとする想いが極端というか。
妹を手に入れようとする者に対する激しい憎悪、嫉妬。病的な感じすらありますよね。甘美で病的な。
──胸に七つの傷がある男を命懸けで探していて、違ったら違ったで容赦なく殺してしまう。
インパクトがあったのは、女装して出てくる初登場シーン(※2)。対象に対する感情移入が強すぎて、対象そのものになってる気がします。
【※2】
シンに次ぐ南斗聖拳の使い手、レイの記念すべき初登場シーン。野盗たちが女だと思って襲った相手がじつは女装した男、さらには華麗かつ残酷な南と水鳥拳の使い手だったというこの描写は、当時の読者に圧倒的なインパクトを与えただけでなく、外部からの破壊を極意とする南斗聖拳のイメージを強烈に植え付けた。
──あ~。なるほど。ここで言う対象はアイリですね。女装してれば悪い連中が手っ取り早く寄ってくるという解釈を、さらに深く読んで。
極端な愛情の持ち方をしてしまうというね。失礼な言い方をすればバランスの悪い愛なんだけど、でもそれはとても純血な純粋さで。そういうところに連載当時から神秘性を感じてるんですよ。究極の母性というか狂気的な母性というか。
──南斗聖拳…厳密に言えば南斗水鳥拳も好きなんですか?
南斗水鳥拳はね、北斗神拳と決定的に違うのは、相手を物質として見て切り刻むでしょう。カッターナイフとかピアノ線で切るような、それこそハムを切るようなね。物質的に切るというのが印象深かったですね。
──南斗聖拳のイメージを確立したのはシンよりレイですよね。南斗水鳥拳によって確立された的な。
だから、後に南斗聖拳の使い手は登場してるんだけど、レイほどの衝撃を与えるような斬撃感というか、そういうのは少ないですよね?
──斬り技というか、切れ味。美しさとは正反対の残酷さですね。
自他の区別をハッキリ付ける、とでもいうのかな。他者を物質のように扱ってしまう怖さ。でも、これは南斗水鳥拳だけというより、南斗聖拳の根本のような気もするんです。
──たしかに北斗神拳は動物的な感じはありますね。
そういう南斗聖拳の使い手がね、みんな愛情過多で自分に歯止めが効かないワケ。レイもシンもシュウもユダもサウザーも。持ってる愛の形が偏ってて方向性が極端なんです。
──なるほど! 言われてみればそうですね。ユダはレイに憧れてるけどそれは愛…歪んだ愛。シンもジャギの言葉ひとつでケンシロウからユリアを奪う暴挙に出る。関係なさそうなシュウだって、ケンシロウのために自らの目を潰してしまう。
そうなんです。愛情過多で、しかもその愛のバランスが取れないから行動が極端になってしまう。