──大げさに言うと紆余曲折を経て武論尊先生になった。でも僕は、それが北斗における「最初の宿命」だったんじゃないかと思うんです。後にケンシロウが多くの強敵たちと宿命の出会いを果たし、最強の伝承者になっていく。北斗のキーワードである宿命は、お二人がタッグ組んだ瞬間から生まれたんじゃないかと。
北斗の宿命に導かれたということなのか。ははは。それは面白い考え方だね。
──僕は真剣にそう思っています。天命だったのだと。
やっぱりね、武論尊先生は泣かせるシーンとか、本当にいいんですよ。
──そのこだわりは僕も聞かせていただきました。サブタイトルであったりセリフであったり、ひと言、印象に残る言葉を入れていたと。決めとなる言葉を。
キャラクターの死に様しかり最期のセリフしかり、いいですよね。
──ちなみに、今日は連載1回目の生原稿をお借りしてきたんですが…。
うわあ、ホントだ。懐かしいなあ。
──いまの…つまり50代の原先生から見て、これを描いた20代の原哲夫をどう思いますか?
う~ん。もともと僕は、あんまり絵が上手くないっていうのがあって。
──上手くない…(笑)。先生。天下の原哲夫がそんなこと言ったら、いまの漫画家の9割くらいが辞めちゃいます!
いや、本当なんですよ。ただ、命懸けで描いてたんで、これを見てダメだとは思いません。すごいですよ。
──それを聞いて安心しました。
たとえばこれ、ケント紙(※2)を削るようにペン入れしてるんです。

【※2】ケント紙
製図や漫画などで使用される上質の画用紙。化学パルプを原料としており、厚手な上にインキなどの滲み(にじみ)が無く、鉛筆などで下書きした後にペン入れをするまでの作業に耐えうる素材であることが最大の特徴。イギリスのケント(Kent)地方で初めて作られたことから、この名が用いられるように。日常生活では名刺などで使われる場合が多い。
──え? 削る…と言いますと?
そのものズバリ、紙を削る。穴が開いちゃうんじゃないかっていうくらい。いまはそんな体力は無いんだけど、当時は自分なりに工夫して描いてたんです。
──うわ~。ペン入れって、いわゆる清書じゃないですか。だから、逆に丁寧に描いてるのかと思ってました。そんな立体的な手法が…。
躍動感とか、絵の感情とか、質感を得るための表現方法だったんですよ。僕にとって北斗は再起を賭けた作品。後が無いと思って始めましたから。その前の「鉄のドンキホーテ(※3)」の時、じつはナメてて。週刊連載だから〆切を考えて、少し抜いて描いてた。でも、それでコケちゃったことに対する後悔が大きくて、俺にはもう〝北斗の拳〟しか無いっていう心境だったから、とにかく必死でした。

【※3】鉄のドンキホーテ
1982年~1983年にかけて「週刊少年ジャンプ」に掲載された原先生の記念すべき連載デビュー作。当時の流行であったモトクロスを題材とした作品であったが、残念ながら大ヒットには至らず10週で終了。ただし、後に執筆することになる北斗の拳の読み切りが同作の単行本に掲載されたこともあり、結果的に原哲夫マニアの間では有名な作品となった。